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 びーふらっと情報 第11号
    
  数年前からびーふらっと情報の発行を始めました。

何故?

私にとってそれまでの平和な時代の均衡が崩れ始めたのは

今から10年前の関空開港・阪神大震災に始まります。

日本敗戦による、戦後復興から始まった日本人の心がひとつになっての

産業経済の発展は正に小国から経済大国と言われるまでになり、

日本の底力を諸外国に知らしめるまでになりました。

が然し、本当に大切な日本の心臓部に当る最も大切な技術部門の安易な流出と共に

オーソリティーを

おろそかにする企業の頭脳が今,日本を退化への道へと導き出しております。

この現象を悔しい思いであくまでも第三者の立場で眺ていなければならない

傍観者にまでも影響が

及んでくる気配を感じる危険性をはらんでおります。

今、正に 日本産業を揺るがす様々な問題が現象面に起り出しております。

今までは表面にまでは

出て来なかった大問題がこれから続々と表面化するであろうと

、機械に頼っていた現代人間社会の

落とし穴を自らの目、耳、鼻、で嗅ぎ付けながらの一歩一歩になる恐れが出て来つつあります。

大は小を兼ねると申しますが、

小は大に勝ると言う言葉の存在を忘れては人間の真理を失って

しまう事も否めません。

当時は大企業になる事も人口の増加と共に必須条件でもあった事です。

然し無理に歪ませた教育制度と時代のニーズが合致してしまうと言う不幸な時代に

生きなければいけなかった

人口が余りにも過剰になり、そこに幾多の間違いを起こす起因になった事も日本不幸物,語の

始まりでもあります。

然し、確かに少数派の存在も確かであり、今後の技術崩壊の危険性からの脱皮を

仕掛ける技術者は黙々と日本の片隅に追いやられながら存在は光っております。

利益追求は最も大切な事ですが、反面積み重ねられた技術と智能を自然な形で

試行錯誤しつつ創り上げる技術もしっかりと残っております。

まがい物ではない本物の価値を今見定める時が来ていると

又本物を見極める思考を育てる場が

一番必要だと、そんな場を提供する私でありたいと思って居ります。

日本復興の為に辛酸をなめながら貢献された先輩に敬意を表し、

60才以上の方には日本の代表すき焼き・しゃぶしゃぶを10%OFFで

召し上がって戴けます様にさせて頂きたいと思って居ります。

現役時代に培った技術・人間関係の復活をして頂きます。又、日頃会えない縦社会の

ご家族との団欒も実現して戴けます様、色々計画を立てております。

そして幼時から現役時代そして現在までの人間関係で得た様々な交友関係の復活も

ここで実現して頂ければ幸甚と存じます。

又もうひとつ私自身も今その立場の真っ只中に居りますが、ご高齢の方の問題を

抱えていらっしゃる方々のお手伝い、例えばご旅行の際、又何かの行事の時、

おじいちゃんおばあちゃんをお預かりも考え、

お子様もお預かり出来るような事も考えて居ります。

最低限度日常生活に支障をきたさない能力がある方で、

いろいろ難しい法律はあるかも知れませんが、

現実に直面する様々な諸問題を人間的な発想で人と人とのふれあいから

始まる交友関係を築き上げる事が大切なのではと常々考える事から

上記のような事を考える私でもあります。

大家族の中で育った私が東京へ出て行く事を考えた私ですが、

先々の事は私自身も

どうなる事か解りませんが、

取り敢えず、家族・友人・知人又今後出会うであろう人々と良き交友関係を

崩す事のないようにと言う発想が優先して居ります。

いち個人が基本になって構成が徐々に膨らみ社会になり、地域になり、最終的に

地球規模に発展すると言う構図を考える時、

やはりベースは平和でなければ成らない所に行き当たります。

戦争が起これば家族から始まって全体が寸断されてしまいます。

そんな悲しい思いは私達の親の代で充分経験し、味わって来ております。

私の叔父も若くして戦死し、家族として悲しい思いを経験した世代が現存して居ります。

この時代に生まれ育った世代として厳しい家庭・学校教育を受け、

そのお陰で現在の私が存在すると思って居ります。

幼少の頃には今から思えばとんでもなく大きな希望を持っていたものです。

然し現実は厳しく、然し夢は見るものではなく実現するものという言葉の重みを感じ乍ら、

違ったジャンルで仕事をすると云う運命的なものは感じております。

大阪のびーふらっとにご来店下さるお客様に東京でお待ち戴いている方々が

大勢いらっしゃいますが。

元々、北大阪の阪急宝塚線蛍池駅前から始まり、池田市井口堂にあったお店を、

阪神大震災後、泉佐野市でオープンした大阪のびーふらっとも地元の方々の暖かい志を

しっかり受け継いで、従来通り地元のお嬢様方にお手伝い頂いて居ります。

オープンした時に地元の方からよく泉佐野へ来てくれたね、

口は悪いけれど心根は優しいからね、

と励まして頂きながらの9年間でしたが、

今となっては東京の湘南のような環境

と山の幸、海の幸が豊富な海のそばにある泉州地区は離れがたい土地になっております。

物価の安さには感動します。

人はおおらかで北大阪ではすっかり消え去った環境が

昔のよき時代の豊中さながら残っております。

確かに文明・文化の話題になると少々遅れを取っているかも知れませんが、

昔私が育った豊中市も私の幼少時代を振り返るともっと田園風景が広がり、

静かな街風景が残っておりました。

伊丹空港も米軍摂取から開放され、伊丹国際空港として発足、

1970年に開催された万国博を契機に産業・医療機関・教育機関等が

集中的に増加すると共に急激な人口増加が見られ、

大阪府下の智能がここに集積されました。

膨大な竹やぶ地帯は膨大な住宅地と化しました。

戦前からあった昔からの平穏で閑静な住宅地は隅に追いやられ、

豊中市の分布図は大きく変化を来たしました。

その点、泉州地区はまだまだ平穏な環境が保たれて、

人々の生活も昔ながらの形態が保たれております。

今では心のふるさとになって、母や娘は泉佐野に残ると言っております。

その方が私も帰る所があって心が落ち着くと思います。

又長女は箕面の如意谷に住まいして居りますので、

ここにも帰る事が出来ます。

4世代がひとつ屋根の下で生活した想い出は

強く焼きついていて消えるものではありません。

しっかりと刻み込んでしっかりとこの時代を支えた精神を

皆様にお伝えして行こうと考えて居ります。

美味しい大阪のすき焼きを、時々東京で行なうイヴェントによって、

広めると共に日本中から上京される皆様との出会いを楽しみに

交友関係の広がりのお手伝いが出来ればと、

皆様にお会い出来ます事を楽しみに致して居ります。

思えば竹のように真っ直ぐ生き抜いて来たつもりですが、壁にぶつかったり、

不可抗力に押しつぶされそうになった節目を数知れず乗り越えて来た

自分を振り返ったり、

反省したり自らを採点する事の難しさを痛感して居ります。

人一倍辛口人生を歩いて参りましたが、社会に飲み込まれない処世術を

自らの堅古な意思をもって自制して来たつもりで居りますので、

人からは頑固者・変わり者・等々ラベルを張る方もいらっしゃいますが、

決して私はそうは思っておりません。

ごく普通の感覚を持った普通の人間だと思って居ります。

只, 世の中のハイスピードで進むスピード感にはついて行く事が出来なくて

少し人より遅ればせのペースで生きて居るも知れません。

ハイスピード・ファストフード・世の中の現象にはあくまでも客観的な面持ちで

遠い存在での出来事のように眺めるばかりですが、

決してついて行こうとは思いません。

三つ子の魂百までもの例え通り一度身に付いたものは身から離れる事はありません。

そんな所から来るのんびり処世術 も又良いものですよと言う事を運命的なものや

色々な経験から来る真理・心理状態をその時代,時期に応じて様々な角度から

推し量りながら書き留める作業をして居ります。

現在びーふらっと情報は第11号を数えております。

機会が御座いましたならば南海・泉佐野駅までお出かけ戴きまして

すき焼きも美味で御座います。

美味しいお酒も売るほどに品揃え致して居ります。

更に時間の許す限りママはお客様とのコミュニケーションを大切にしたいと思って居ります。

今楽しい会話が不足している時代です。

ゆっくりムードで落ち着いてお話に花を咲かせる時間も大切な精神療法だと思って居ります。

病気が入り込む隙を与えない為にストレスを心身から追い出しましょう。

びーふらっと情報をお読み戴いた上で、ご意見・アドバイス等戴ければ幸甚と存じます。

今後も時間の許す限り続けるつもりで居ります。どうぞご笑読下さいませ。

尚、現在お送りさせて戴いて居ります方の中で差し支えていらっしゃる方が

いらっしゃいましたらその旨ご一報下さいます様、宜しくお願い申し上げます。

発送を取り止めます。

又新たにご購読をご希望の方、ご住所のご登録をお願い致します。

勿論無料にて発送させて頂きます。

少し時代遅れな私ですが

当たり前が当たり前でなくなった事に憂いを感じつつ、

何とか意識・認識向上をと願う者で御座います。

 

大震災10周年にあたって、びーふらっと情報 第12号 は

 心境をふり返ります。

 

 

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